キウイのブランド化に成功したニュージーランド
ゼスプリ社のキウイの歴史が素晴らしい。ゼスプリ社のホームページから抜き書きします。1904年にニュージーランド北島の西海岸にあるワンガヌイ女子高校の校長イザベル・フレイザーが、中国の揚子江を約1600kmさかのぼった宜昌(イーチャン)にあるキリスト教伝道所から、「ヤンタオ」という果物の種子をニュージーランドに持ち帰りました。その種子を植物学者のアレキサンダー・アリソンに渡し栽培を依頼。アリソン氏はワンガヌイの地元農地で同種子の栽培を開始しました。1924年には、オークランドの種苗生産業者、ヘイワード・ライトが、グリーンの果肉のチャイニーズ・グーズベリーを開発しました。これが現在、最も一般的に栽培され、世界中で食べられている果肉が緑色のキウイフルーツのヘイワード種です。1959年にはキウイがニュージーランドの国鳥であるキウイに似ていることから、親しみやすい「キウイフルーツ」と命名しました。
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情熱をあらわすzestと、精神をあらわすspiritを組み合わせ「ゼスプリ」と命名
1980年代後半になると、キウイの輸出業者が増え、価格競争が始まりました。そこで生産者は窓口の一本化を計画しました。運営・マーケティング組織であるニュージーランド・キウイフルーツ・マーケティングボード(NZKMB)を設立し、NZKMBはニュージーランドのキウイフルーツにブランドネームとして「ゼスプリ」と命名したのです。「鮮やかで、元気で、健康的で、栄養分が高く、活気があり、風味がよく、喜びとエネルギーにあふれている」というキウイフルーツのイメージを、情熱をあらわすzestと、精神をあらわすspiritを組み合わせた「ゼスプリ」という造語で表現しました。北半球と南半球の気候の差をうまく使い、日本では通年キウイが食べられるようになった功績はゼスプリ社にあるのですね。
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クイーンズ伊勢丹のゼスプリキウイの売り場
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